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歴史いっぱいの町宗像をガイドしている会です。




     

ようこそ、宗像歴史観光ボランティアの会のホームページへ。


   むなかた歴史いっぱいの町宗像へどうぞ
   宗像歴史観光ボランティアの会のメンバーが案内します。

コース選択 6コース

                          宗像市の歴史散歩コース


      

   
    
鐘崎周辺             宗像大社とその周辺

    山田地蔵尊とその周辺     八所宮・赤間宿とその周辺

    唐津街道・原町とその周辺   遺跡・古墳巡り

  宗像市の歴史散歩コース(グーグルマップ)

 

宗像歴史散歩・鐘崎周辺コース】

                             〜宗像の海人のあとをたずねる〜

 鐘崎は玄界灘と響灘を分ける岬で,地島との間に暗礁が広がり,昔から航海の難所であるとともに,海上交通の要所であった。万葉集にも「ちはやぶる金の岬を過ぎぬとも我は忘れじ志賀の皇神」と歌われている。
 縄文時代の上八貝塚や,武内大臣や海神を祭る織幡神社からも,古くから海人が住み続けてきたことが窺える。宗像市民族資料館では,日本海側の海女の元祖である鐘崎海女の中世以来の活躍振りを知ることができる。
 また鐘崎背後の湯川山とこれに続く孔大寺山との間の垂見峠は古代からの重要な道であり,平家落人の伝説が残っている。


鐘崎海岸コース

 徒歩所要時間  合計 3000m  60分 (見学時間 合計 1時間30分)
 
 見どころ  見どころの説明
 

A (せん)福寺(ぷくじ)

→B1km 20
(駐車場あり)

 浄土宗西山派で,阿弥陀仏が本尊。
 樹齢400年と推定される榎【県指定天然記念物】,県指定文化財の梵鐘(1672年作)がある。

 

B 織幡神社

→@1.5km 30
(駐車場あり)

 

 五代の天皇に仕えた大臣武内宿弥が主祭神。神功皇后三韓出兵の折,宿弥が赤白の旗を織り船に立てたことから名付けられたという。海女の記念像や,鐘崎の由来となった伝説の沈鐘を求め,引き揚げられた巨石がある。
 境内,裏の佐屋形山に県指定天然記念物のイヌマキ自然林があり,岬からは玄界灘と響灘が左右に望める


承福寺と田園風景コース

 徒歩所要時間  合計 900m 18分 (見学時間 合計 1時間) 

 見どころ  見どころの説明
 D 承福寺

→E450m 9分

(駐車場
 ・トイレあり)
 

 文明2年(1470)宗像家家老占部越前守安延が開基した。臨済宗大徳寺派。江戸時代前期の諸文書(市重要文化財)が保存されている。
 戦国時代豊臣秀吉の朝鮮出兵後,江戸幕府の指示で日本国全権大使として対朝鮮外交で活躍した景轍玄蘇は当寺の八世住職であった。
同じく江戸時代対朝鮮外交で活躍した規伯玄方は玄蘇の弟子で上八の出身である。


 E 宗像氏貞の墓

→D450m 9分

 氏貞は戦国時代末期,第80代宗像大宮司。英傑とうたわれ,大宮司領の確保と拡大に努める一方,宗像大社の本殿再建など神社仏閣の整備にも尽力した。天正14年(1586)世継ぎを残さずに病没し, 約600年続いた宗像大宮司家が途絶えた。

 その他近辺の観光サイト(詳細は歴史観光コースA参照):こちらへ

F 依岳神社

(宗像市民俗資料館から車10分 田野1872番地)玉依姫を祭る古社。
境内に市指定天然記念物のバクチの木(樹皮が絶えず剥がれ落ちる)とイチョウの木(樹高35m)がある。

G 平信盛笠塔婆

(依岳神社から車5分 池田906番地)平家落人の足跡をしのぶ墓碑。
平知盛の子信盛が宗像に落ち延び孔大寺の社に身を隠し,その後金鉱を発見して代々採鉱を家業としたと伝えられている。

H さつき松原


推定20万本のクロマツが,海岸線約5kmも続く。慶長7年(1602)福岡藩初代藩主黒田長政が防風,防砂林として植林させた。夕日が美しく,運がよければ沖ノ島が見える。
  (宗像市民俗資料館〜さつき松原〜道の駅約5km
                     道の駅〜牟田尻バス停約800m)

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(すめ)(がみ)  (せん)福寺(ぷくじ)  武内(たけのうち)宿弥(のすくね)  神功(じんぐう)皇后(こうごう)  ()屋形(やがた) 上八(こうじょう)貝塚(かいづか)  磨消(すりけし)  石銛(いしもり)  (じょう)福寺(ふくじ)  占部(うらべ)越前守(えちぜんのかみ)  景轍(けいてつ)玄蘇(げんそ)  規伯玄方(きはくげんぽう)

 
 

宗像歴史散歩・宗像大社とその周辺コース】

                               〜宗像のみなもとをたどる〜

 宗像は神の郷である。戦国時代までの宗像の歴史は,ほとんど宗像大社の歴史と言ってもよい。日本書紀などの神話は,宗像地方を経由する海上交通のルート(「海北道中」)が,建国直後の大和朝廷の生命線であったことを示している。沖ノ島の祭祀遺跡の豪華な出土品がこれを裏付けている。7世紀半ば,宗像郡は律令体制の例外である。
 神郡となったが,これは全国八神郡の中でも最も早かった。神郡の特権が廃止された後10世紀には大宮司職しきが置かれ,再び宗像神社の宮司はこの地方の領主を兼ねることになった。
 現在の宗像大社辺津宮のたたずまいや神宝館の宝物などに,宗像の神とそれを祭る宗像氏の栄光のあとを窺うことができる。周辺の神社仏閣にも宗像氏との強い関わりが伝えられている。


 宗像大社とその周辺コース

 徒歩所要時間  合計 4400m 1時間28分 (見学時間 合計 13時間)

 見どころ  見どころの説明
 

@ 宗像大社
   辺津宮


→A 600m12

(駐車場
 ・トイレあり)

 かつての官幣大社で,六千社以上の宗像神を祭る全国の神社の総本社。日本書紀に道主貴と書かれており交通安全の神様として有名。ここ辺津宮は天照大神の御子神の市杵島姫神が主祭神。姉神の田心姫神は沖ノ島の沖津宮湍津姫神は大島の中津宮のそれぞれ主祭神。
三社を合わせて宗像大社という。 

 三宮の境内はすべて国史跡。辺津宮の本殿80代宗像大宮司氏貞が1578年再建と拝殿小早川隆景が1590年再建)はいずれも国指定文化財。地域の 75108神を境内摂・末社として祭る23の社,靖国神社より移築の儀式殿伊勢神宮から移築の第二宮・第三宮,楢の木と相生の樫のご神木,三笠宮崇仁殿下の歌碑など見所が多い。背後の宗像山山腹に,今も続く古代祭祀場(高宮)がある。 
 境内の神宝館には,沖ノ島の古代祭祀跡から出土した8万点以上の神宝(すべて国宝の主なもの,および宗像大社関連の貴重な文化財宋伝来の石造狛犬,阿弥陀経石などの国指定文化財も多いなどが展示されており,必見(拝観料:一般 800円、高・大生 500円、小・中生 400円)

 

A 氏八満社(うじはちまんしゃ)

→B300m 6分

 宗像大宮司氏貞の創建。宗像大宮司家の祖とされる宗像清氏,古代宗像氏の祖と伝えられる吾田片隅命,大宮司家のお家騒動により市内山田で殺された菊姫ほか五人の霊を祭る。


B (こう)聖寺(しょうじ)

→C600m 12

 臨済宗大徳寺派。 1301年創建。 宗像大宮司歴代の菩提寺で位牌が安置されている。本堂は創建当時のもの。県指定文化財の梵鐘がある。1227年色定法師が独力で書写した一切経(国指定文化財)と同法師の座像(県指定文化財)が納められていた(現在は宗像大社神宝館蔵)。


C 宗像
  護国神社

→@→D 1600m
     32

 明治以来の戦没者を祭る。宗像大社が祭祀を行っている。古くから大社が神饌を炊ぐのに用いてきた神水を汲む御飯ノ井がそばにある。

 

D 鎮国寺

D→@ 1300m
    26

(駐車場・トイレ
 ・売店あり)

 真言宗の古刹で806年弘法大師の開基と伝えられる。 鎌倉時代に宗像大宮司長氏が宗像大社の神宮寺として堂塔を建立し,寺領を寄付した。護摩堂の不動明王(ご本尊)は国指定文化財。本堂(市重要文化財)に宗像三女神など五社の本地佛(県指定文化財)が安置されている。
 境内背後の屏風山々中に九州最古の板碑である阿弥陀如来座像,奥の院に線刻釈迦如来石仏(いずれも県指定文化財)などがある。
境内には年中花が絶えない。春の櫻美苑の御室桜は見もの。

その他近辺の観光サイト(詳細は歴史観光コースB参照):こちらへ

E 医王院

(宗像大社から徒歩5分,田島2219番地)薬師如来を本尊とする曹洞宗のお寺。1501年大宮司氏雄が開基。

F 桜京古墳

(宗像大社から車5分 牟田尻2019番地 駐車・石室内見学不可)6世紀後半の全長39の前方後円墳。装飾古墳として知られ,国史跡に指定されている。

G 道の駅むなかた

(宗像大社から車10分 江口1192番地 駐車場・トイレあり)物産直売所,インフォメーション,観光情報コーナー,レストランがある。


H 隣船寺

(宗像大社から車10分 神湊1164番地 駐車場あり)臨済宗大徳寺派のお寺。俳人種田山頭火の生前唯一の句碑がある。「松はみな枝垂れて南無観世音」。

I 浄光寺

(宗像大社から車10分 江口1330番地 駐車場・トイレあり)浄土宗総本山知恩院の末寺。藤の寺として有名。樹齢百数十年の古木で,根回り1.5m(市重要文化財)


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辺津宮(へつぐう)  道主貴(みちぬしのむち)  市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)  田心(たごりひ)姫神(めのかみ)  湍津(たぎつひ)姫神(めのかみ)  第二(ていにぐう)第三宮(ていさんぐう)  氏八満社(うじはちまんしゃ)  吾田(あた)片隅命(かたすみのみこと)  (こう)聖寺(しょうじ)   (とし)(しき)定法師(じょうほうし)  神饌(しんせん)(かし)ぐ  御室(おむろ)(さくら)


宗像歴史散歩・山田地蔵尊とその周辺コース】

                        〜宗像大宮司家の栄光と悲劇〜


 宗像大宮司家は,12世紀から 600年にわたり白山山頂に居城を置いてきた。この間しばしば大宮司職の継承を巡る争いがあったが,最後の跡目争いに関わる惨劇その後の怨怪異談が白山の麓の山田地蔵尊に伝えられている。
 白山城はまた,日本史上非常に重要な役割を演じたことがある。京から数十騎で落ち延びてきた足利尊氏を,時の大宮司氏範はこの城に受け入れ武具や馬を与えた。尊氏は大宮司家などの援軍の力を借りて菊池氏らの大軍に香椎多々良浜で奇跡的な勝利を収め,やがて足利幕府を開くことになる。まさにこの地で「歴史が動いた」のである。


山田地蔵尊とその周辺コース

 徒歩所要時間  合計 900m 18分(白山城跡を除く)
                      (見学時間 合計 1時間20分)

 見どころ  見どころの説明
 

@ 山田地蔵尊
  増福院

→A200m 4分

(駐車場
 ・トイレあり)

 

 曹洞宗のお寺で正式には増福院禅院という。
 天文20年(1551)9月宗像大宮司家の跡目争いで前の大宮司氏男(氏雄とも)の正室菊姫とその母堂,侍女4人が惨殺された。その後暗殺に加わったものが怪死するなどの異変が相次ぎ6人の怨霊と噂された。そこで大宮司家を継いだ氏貞がこの寺に田地を寄進し6人の霊を祀ったためさしもの変事も収まったと伝えられる。資料館(即心院)に怨霊説話を画いた絵巻物「山田地蔵尊御縁起」などの増福院文書(市重要文化財)や氏貞の像がある。
 拝観には増福院に事前連絡必要 TEL 0940338287
 裏庭には,足利尊氏が白山城に入ったときその上で武運長久を祈ったという「尊氏座禅の岩」がある。


A 山田夫人
  故址碑

→B100m 2分

 

 菊姫騒動があった屋敷跡で,安永4年(1775)に時の県令により土地を寄進され,建てられたものである。


B 菊姫侍女墓

→C150m 3分

 

 宗像大宮司家のお家騒動の犠牲となった宗像大宮司氏雄の正室菊姫の侍女,花尾の局,三日月,小夜,小少将の墓。


C 菊姫、
  山田の局墓

→@450m 9分

 宗像大宮司氏雄の正室菊姫とその母山田の局の墓。青松院云々とあるのが菊姫の法号で,増福院云々とあるのが山田の局の法号。

D 白山(はくさん)城跡

@→D 約50
D→@ 40

(駐車場
 ・トイレあり)

 

 孔大寺山から南西に延びる尾根上に白山(319m)があり,12世紀宗像大宮司家がこの山頂に城を築き戦国時代末期まで居城としていた。山田地蔵尊下の駐車場に説明図があり,ここから山頂を望める。登山路は駐車場の向かいを入る。急峻なので履物などの準備が必要。山頂まで往復1時間30分ほどである。
 
建武3年(1336)足利尊氏は建武新政権に反旗を翻したが北畠顕家に敗れ,京を追い落とされ九州に逃れこの城に入った。利尊氏は,この城に入り武具等を与えられて大宮司家等の援軍を得て北上してきた肥後菊池氏等との大軍を香椎多々良浜で迎え撃った。この戦いに奇跡的に勝った尊氏は直ちに上京して室町幕府を開いた。まさにここで「歴史が動いた」のである。
この戦いに勝ち,のちに全国を制覇し室町幕府を開いた。

その他近辺の観光サイト(詳細は歴史観光コースC参照):こちらへ

E 横山の大楠(山田地蔵尊から車3分 山田字横山1333番地

          県天然記念物。


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宗像歴史散歩・八所宮・赤間宿とその周辺コース】

                        〜赤間宿の繁栄のあとを見る〜


 赤間宿付近は唐津街道が芦屋往還と木屋瀬に出る中往還とに分岐する追分に当たり,江戸時代から明治時代にかけて商業の中心として繁栄した。古代の駅家とされる建物跡が芦屋往還に沿って出土することから,その歴史はさらにさかのぼると考えられている。宗像大社に劣らない古い歴史を持つと思われる八所宮の存在も,古代の交通の要所としてのこの地の重要性を示すものであろう。
 赤間からは,現代の偉人出光佐三が出たことも忘れることができない。われわれが知っている宗像大社の姿や,神宝館とその宝物も,佐三がいなかったら見られなかったかも知れない。


赤間宿とその周辺コース


 徒歩所要時間  合計 2000m 40分 (見学時間 合計 2時間)
 
 見どころ  見どころの説明
 @ 須賀神社

→A100m 2分

(駐車場は熊越池公園にあります)
 

 鹿児島本線教育大前駅から200m4分。
 赤間宿の鎮守で素盞鳴尊を祭る。境内には節婦・お政の碑がある。お政は亡父の定めた許婚に貞操を守り,村役らの勧めた縁談を断り自害した。正助,はんと並び宗像三偉人の一人とされていた。

A 法然寺

→B40m 1分
 

 浄土宗鎮西派のお寺。本堂には本尊の阿弥陀如来坐像がある。門には「ここは赤馬の法然寺」の石碑がある。赤馬は赤間の旧名(八所宮の項参照)

 

B 五卿西遷の碑

→C770m 16

 

 法然寺の横にある。幕末前夜,公武合体派に追われ長州に落ちていた三条実美ら5人の尊皇攘夷派の公家が,大宰府に遷される途中赤間宿に25日間滞在したことを記念したもの。当時,西郷隆盛らもたびたびここを訪れた。


C 赤間宿  
  (辻橋まで)

 辻田橋→
  JR教育大前駅

   980m 20 
 

 戦国時代は城山の蔦嶽城の城下町であった。江戸時代は唐津街道の芦屋往還と中往還との追分に位置していたため,江戸時代から明治時代にかけて商業の中心として大いに栄えた。今も当時をしのばせる建物が残っている。出光興産鰍フ創設者で日本の石油王として知られる出光佐三(18851981宗像大社の復興期成会の会長として宗像神社史の編纂,沖ノ島の遺跡調査,大社の施設整備などに多額の私財を投じて取り組んだ)の生家,杉玉の揚がっている造り酒屋,旅人のための辻井戸などを見ることができる。辻田橋に寛政3年銘の河川改修をした「釣川一番定石」がある。


八所宮とその周辺コース

 徒歩所要時間  合計 400m 8分 (見学時間 合計 1時間30分)

 見どころ  見どころの説明

D 八所宮

→E200m 4分

(駐車場
 ・トイレあり)

 

 宗像地方指折りの古社で赤間庄の総鎮守。神代七代の後半,四代八柱の神が祭られている。最後の代が日本の国土や天照大神を生んだという伊弉諾尊と伊弉冊尊。むかし神武天皇が東征に先立ちこの地に立ち寄った折,赤馬に乗った神が現れ道案内をされたと伝えられ,この「赤馬」が赤間の地名の起こりという。境内林はイチイガシ,トキワガキ,シイ,タブノキなど原生林で県指定天然記念物。季節には藤棚やつつじの花も見事。

 E 長福寺観音堂

→D200m 4分
 

 長福寺は八所宮の神宮寺。観音堂は18世紀の建物で市重要文化財。県指定文化財の木造十一面観音,市重要文化財の木造不動明王天王像大威徳明王像,大日如来像など安置されている。    
見学には八所宮に事前連絡が必要。п@0940334457


八所宮からの帰りに

 徒歩所要時間  合計  800m 16分 (見学時間 合計 30分)

 見どころ  見どころの説明
 

F 早川勇の像

→G400m 8分

(駐車場あり)

 

 早川勇(18321899)は遠賀郡に生れ吉留の医師早川元瑞の養子となった。江戸で儒学を学んだあと福岡藩の勤皇倒幕の志士として活躍した。西郷隆盛や高杉晋作等と親交があり,薩長同盟の提案者。西郷隆盛に説いて五卿西遷を実現させた。


G平家二位の尼の墓

→F400m 8分
  赤間に残された平重盛の子行実が後に吉留村で大農となり,祖母二位の尼をしのんでここに墓を建てたと伝えられている。近くに県指定天然記念物)がある。樹高21mで地上2m附近から五本に分岐する。

 その他近辺の観光サイト(詳細は歴史観光コースD参照):こちらへ

H 正助ふるさと村
(八所宮駐車場から車5分武丸199番地)「もやいの家」の背後に親孝行で知られる「宗像三偉人」の一人武丸正助の資料館などがある。

I 平山大師堂・寺小屋跡 
(八所宮駐車場から5分,吉留985番地)市重要文化財の阿弥陀如来立像,天部形立像がある。近くの平山八幡宮には県指定天然記念物の大楠がある。

J 蘿神社
JR教育大前駅から710m徒歩14分 陵厳寺3丁目1番地)昔蘿嶽(城山)にあった神社。

K 正法寺
(蘿神社から680m徒歩14分 陵厳寺2丁目3番地)豊臣秀吉が九州平定の際立ち寄った寺。

 
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熊越池(くまのこしいけ)  素盞(すさのお)鳴尊(のみこと)  お(まさ)の  三条(さんじょう)実美(さねとみ)  蔦嶽城(つたがたけじょう)  伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉冊尊(いざなみのみこと)  (つた)神社(じんじゃ)  (むかし)蘿嶽(つたがたけ)    正法寺(しょうほうじ)


 宗像歴史散歩・唐津街道・原町(はるまち)とその周辺コース】

                            〜街道の昔をしのぶ〜


 赤間地区の唐津街道の繁栄は,赤間宿を出てからも続く。この街道は秀吉が朝鮮出兵の際に整備させたと伝えられる。原町付近は山岳信仰でにぎわった許斐山参詣路の分岐に当たり,宿屋などがあって栄えたという。古い町並みがよく保存されおり,大名行列が通ったかつての姿を偲ばせる。
 山深い大穂の里で出会う宗生寺の落ち着きのあるたたずまいは,いつも新鮮な驚きを感じさせる。


唐津街道・原町コース

 徒歩所要時間  合計 1400m 28分 (見学時間 合計 1時間)

 見どころ  見どころの説明
 

@ 唐津街道
   ・原町

かのこの里
→宗像四塚眺望
  700

(かのこの里に駐車場・トイレあり)

 この街道は豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に整備されたと伝えられ,その後参勤交代の道として整備された。江戸時代後半に山岳信仰を中心とした庶民の旅行がブームとなり,許斐山の登山口に当る原町の街道沿いに宿泊施設や商家が建ち並び,南郷地区の商業の中心として大いに賑わった。古い街並みが良く保存されていて往時を偲ぶことができる。

木目込み 手まり真子
手作りのさげものを制作展示,販売している。庭の風景も見もの。

中村研一・琢二生家美術館
戦後の洋画檀をリードした中村兄弟画伯の作品,スケッチなどを公開展示している個人美術館(毎月1日〜10日公開)。

古美術・楽市楽座
旧造り酒屋の別邸。インテリアを中心とする古美術の展示販売を行っている。


恵比寿様
真武邸(そば屋)の敷地の一角にある原町の商売の神様。毎年12月の第一土曜日にはお座が開かれ福引き・お雑煮などがふるまわれる。

街道そば・たからい
旧造り酒屋の建物を活かした昔懐かしい雰囲気の部屋に上がって手作りのおそばが味わえる。三条実美や西郷隆盛の書が掲げてある。入口右手の建物内に辻井戸がある。左手の蔵では藍染めのテキスタイル,布製品が展示販売されている。

宗像四塚の眺望
原町と大穂町の境付近から宗像四塚(城山,金山,孔大寺山,湯川山)がきれいに望める。

経石様
江戸時代の飢饉の時疫病が流行し,これを鎮めるために小さいだご石にお経を書いて埋めたといわれ,たくさんの経石が出土している。毎年8月16日大念仏祭りが行われている。経石様の横には稲荷が祀られている。

 


宗生寺コース

 徒歩所要時間 合計  400m 14分 (見学時間 合計 1時間)

 見どころ  見どころの説明

A (そう)生寺(しょうじ)

→B25010
(一部山道あり)

(駐車場
 ・トイレあり)

 

 禅宗(曹洞宗)古刹。入口の山門は小早川隆景が築いた名島城(福岡市東区)の搦手門を移築したもの。隆景は毛利元就の第3子で「三本の矢」の一人。秀吉の九州平定の際の功績で秀吉から筑前一国ほかを任され,宗生寺を小早川家の菩提寺とした。境内に彼の建てた宝筺印塔がある。また,境内左手の山中に小早川隆景と殉死した家来の墓がある。庭園は1784年に作られた。つつじ,藤,ヒトツバタゴなどの花が見られる。

B 馬頭観音堂

→A150m 4分
(急勾配の道あり)

 

 本尊の馬頭観音は僧・行基の作といわれている。秘仏の馬頭観音は33年間に2回御開帳される(最近では平成18年に開帳)。街道筋の交通安全を祈る仏様として知られている。境内の鐘撞堂は福岡藩三代藩主黒田光之の寄進による。

その他近辺の観光サイト(詳細は歴史観光コースE参照):こちらへ

C 太閤橋(大穂橋(おおぶばし)
(宗生寺から1km 徒歩20分 原町・大穂町境から720m 徒歩15分)幅2mの高瀬川に架かる大穂橋は,秀吉が唐津街道を整備したとき造られたと伝えられ太閤橋と呼ばれている。石積みの橋台で,川底には石が敷き詰められている。

D 光岡八幡宮・大楠 
(かのこの里から車5分 光岡949番地)県指定天然記念物。胸高周囲9.2m 樹高28.6m。

E 梅谷寺(うめたにでら)千手(せんじゅ)観音
(かのこの里から車12分 徒歩7分 村山田1329番地)鎌倉時代の作。市重要文化財。毎年4月と9月の17日にご開帳。観音堂に至る苔の道が美しい。

F 用山阿弥陀如来坐像
(かのこの里から車12分 用山145番地)平安時代後期の作。市重要文化財。


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宗像歴史散歩・遺跡・古墳巡りコース】

                                〜宗像のいにしえを探る〜

 縄文時代には,現在の釣川の流域に深く海が入り込んでいたことが分かっている。その頃宗像地方に住んでいた人は多くなかったらしいが,鐘崎式土器の出土地として有名な上八貝塚を残した。
 弥生時代には,その入り海に沿って多くの集落や墓地が築かれるようになる。朝町竹重遺跡は保存されている数少ない弥生遺跡のひとつである。最近日本最多の弥生時代中期前半の青銅武器15本が発見されニュースとなった田熊石畑遺跡も,かつての入り海に面している。
 古墳時代に入ると,この地域にも東郷高塚の前方後円墳を作った有力者が現れ,沖ノ島の祭祀が始まる。多くの倉庫跡が発見された田熊石畑遺跡の倉庫跡は,沖ノ島経由の国際交易路の出発地と思われる。
 古墳時代を通じて,宗像地方には福岡県内でも際立って数多くの古墳が築かれ,「胸肩の君」一族とその部民の繁栄のあとを示している。

 

リックス−東郷高塚−四塚(よつつか)会館コース

 徒歩所要時間 合計 2750m 1時間15分(見学時間 合計 11時間30分)

 見どころ  見どころの説明


@久原(くばら)澤田古墳群
(宗像ユリックス構内)

→A 300m 6分

(駐車場
 ・トイレあり)

 

 世紀半ば頃の前方後円墳(3号墳,全長45)と3基の円墳(1718)が復元保存されている(市史跡)。3号墳は盾状の堤の中に濠を巡らせていた。古墳の主体は横穴式石室で,内行花文鏡,刀子などの鉄器,鎧,馬具などが出土。
 濠と墳丘からは家型・人型の埴輪や,円筒埴輪が出土。


A久原瀧ヶ下遺跡
(メイトム構内)

→B1050m 21

 弥生時代前期から中期の大規模な墓域と住居跡が発掘されたが,開発により消滅。記念の陶板のみが残る。
 中期の墓からは銅剣と銅矛が出土。

 B東郷高塚古墳
(日の里12号公園内)

→C 700m 14

 古墳時代前期の前方後円墳。全長64mは宗像市域では最大。幅12mの土塁に囲まれている。後円部頂上にあった長大な割竹型木棺は粘土でくるまれていた。盗掘を受けていたが,上質のヒスイの勾玉や硬玉性の管玉などが残っていた。
 沖ノ島の古代祭祀が始まる4世紀後半の築造と見られ,祭祀を支えたムナカタの首長の墓とも考えられる。

 
C 宗像高校四塚
  会館内展示室

→@1700m  34

(駐車場
 ・トイレあり)


 かつて市内田熊に存在した宗像郷土館に収められていた資料などが保管されている。上八貝塚出土の鐘が崎式土器や,宗像高校校庭遺跡出土の子持ち勾玉など。
 事前連絡が必要。 
 県立宗像高校四塚会館 TEL 0940-36-2019

 備考:Cから県道に沿って約300mの所(★印)に平成20年度発掘調査で弥生時代中期前半日本最多の15本の武器形青銅器などが出土した田熊石畑遺跡(弥生時代〜中世)がある。沖ノ島祭祀の頃の多数の倉庫あとも発見された。保存が決まったがまだ調査中のため見学できない。

 その他の市内の見学できる主な遺跡・古墳
               (詳細は歴史観光コースF参照):
こちらへ

D 浜宮貝塚
(宗像ユリックスより車16分 神湊浜宮神社境内)古墳時代の大規模貝塚。

E 平等寺瀬戸古墳

(宗像ユリックスより車10分 平等寺332番地)保存されている1号墓は横穴式石室の内部を見学できる(事前に市市民活動推進課に申し込み TEL0940-36-1540)。

F 名残(なごり)高田遺跡(広陵台古墳公園)
(宗像ユリックスより車15分 広陵台4丁目6番地)弥生時代から中世までの墓域や住居跡が調査された。 前方後円墳1基を含む古墳群が保存されている。

G 名残伊豆丸遺跡
(宗像ユリックスより15分 名残1214番地,向の公民館に駐車可)古墳時代終末期の巨石墳で2つの部屋を持つ横穴式石室墳内部が見学できる。

H 朝町山ノ口遺跡
(ユリックスより車9分,青葉台2-24番地)32基の古墳が調査され,国内最大級の鉄のはさみと鉄槌が出土した鉄器生産に携わった氏族の墓と考えられる。

I 朝町竹重遺跡
(宗像ユリックスより車11分 朝野団地2号公園東 駐車可)弥生時代から古墳時代までの墓地。170基以上の弥生の墓は墳丘となっていて,銅戈と銅矛などが出土。

 その他保存されている重要遺跡・古墳
 
J 鐘崎貝塚(上八貝塚)
(宗像ユリックスより車 20分 上八交差点南 150m 駐車不可)
                     詳細はAコース参照。

K 桜京古墳
(宗像ユリックスより車 16分 神湊交差点南 150m 駐車・石室内見学不可)釣川の下流西方の丘陵上に展開する牟田尻古墳群(約100基)の一つ。6世紀後半の全長39mの前方後円墳。装飾古墳として知られ,国史跡に指定されている。浜宮貝塚と同時期で関連が指摘されている。

 
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四塚(よつつか)会館(かいかん)  (よろい)


   ※ この資料は市内を出発して半日以内で歩けるコースに限定したので,
    大島・地の島・沖ノ島は除外した。